議会の動き

小西 ひろのり議員が質問(予算審査・教育委員会)

予算特別委員会(予算審査・教育委員会)

質問者   小池 ひろのり 委員(民主党・県民連合)

1.奨学金制度の改善について          .

奨学金制度については、我が会派の上野議員が今期定例本会議で「奨学金制度の給付化」を求めたのに対し、教育長から「大学卒業後に返済能力がある層を含めて、一律に給付にすることは問題がある」との趣旨の答弁がありました。

しかし、再度、私は奨学金制度の根本に戻って、この問題を考え直してみたいと思います。

奨学金制度は、経済的に困難な家庭であっても、その子供の進学する機会を奪ってはならないという考えを基に、経済的支援を差し伸べ、進学する夢や希望を与える制度として高く評価が出来るものです。

しかし、OECD加盟国の先進34か国での奨学金制度を見ると、日本とアイスランド以外は全て給付制度です。給付制度でないアイスランドは、大学授業料が年間約6万8千円であることを考慮すると、経済面に於ける支援として、日本の高授業料・低補助という現状は、奨学金制度が貸与であることを含めて、先進国の中で最低水準にあると言えます。ちなみに日本の大学の授業料、入学金の初年度納付金は、国立で約82万円、公立で94万円、私立文系で115万円、理系で150万円、医科歯科系は461万円という状況で、世界的にも圧倒的な高額となっています。

日本は、戦後の生活に苦しい時であっても教育に力を入れ、義務教育の徹底を図ってきました。その教育が基盤となって高度成長を支え、経済的にも世界のトップレベルに達することが出来たと思います。しかし、その後の20年程は、教育が置き去りとなり、日本の社会は物質面で豊かになりましたが、精神面では貧しくなり、社会が随分と変わって来てしまったような気がします。何事も教育が基本であり、『国家百年の計、教育にあり』との観点からも、今、日本は教育をもう一度見直すべき時と考えます。

最近では、多くの発展途上国でも、教育の重要性を鑑み、未来を担う子供たちのために教育に力を入れています。しかし、日本では、これに逆行する形で大学授業料は、国の補助金カットも重なり、ますます高額化する傾向にあります。さらに、最近の社会では、特に経済格差が進んでおり、貧困家庭の子供において進学の門戸を閉ざす状況さえ生じてきています。親の貧困が子供に継承(連鎖)され、教育の機会均等が奪われ、親の経済力によって子供の進学が決められるようなことがあってはなりません。

貧困の連鎖から抜け出るには、十分な教育を保障する以外にはなく、そのためにも奨学金制度が活用されるべきです。しかし、現状の日本の奨学金制度は、貸与の有利子が無利子よりも断然多くなっており、やむを得ず延滞となった場合は、年5%という『ローン』並みの金利となっています。さらに、奨学生は大学を卒業して社会人としてスタートラインに立った瞬間に、何百万円という貸与奨学金の返済のための負債(借金)を抱えることになります。高校時の兵庫県高等学校教育振興会、大学の日本学生支援機構等の貸与奨学金を受けると、その負債総額は500万円以上にも膨れ上がる学生もいます。

一方、今、日本の国には、年収が200万円以下の人が、およそ1,100万人にも及び、経済格差がどんどん広がっています。このような格差社会で、前述しました高額の大学授業料等に対し、近年、奨学金に頼らざるを得ない大学生が益々増えています。また、大学を出ても、一定の所得が保障されるとは限りません。就職できないから大学院に行くとか、ニートになり閉じこもっている大卒者もいます。このような状況で、大学卒業後に生じる300万~1,000万円とも言われる奨学金の返済という借金が、大きな負担になっているのは明らかです。

この借金は、子供本人の責任なのでしょうか!親の経済力が、そのまま子供が社会人になった後にも、借金として引き継がれていくという状況で良いものでしょうか!!大学を卒業すると同時に、貸与奨学金が何百万円という借金に変わるという現実を考え、大学進学を諦めるという子供もいるのではないかと思われます。

子は親を選べません。奨学金を受けなければ、大学に進学が出来ないような貧しい家庭には、行政が補てんし、後押しをすべきです。家庭が貧しくても、やる気さえあれば安心して進学できる制度にしていかなければなりません。教育の機会均等を原則に考えるならば、経済格差を教育格差にしてはなりません。

冒頭で述べたように、「奨学金制度の給付化」の質問に対し、「所得連動制度や猶予制度等の国の動向を注視している」との答弁がありました。しかし、前述したような現状を踏まえると、国の検討内容は甘いと言わざるを得ません。県として、一歩踏み込んだ積極的な取組が求められます。

そこで、日本も先進国に学び、基本的には奨学金制度を貸与ではなく、給付にすることを国に強く働き掛けると同時に、県としても給付型奨学金の充実を図るなど支援を拡充する必要があると考えますが、当局の所見を伺います。

2.県立高等学校長の在任期間について

県立高校等の学校長の1校での在任期間は、平均して2.4年だそうです。校長になる平均年齢が56.1歳ということから、校長としての在校数は2校が一般的だと思われます。

しかし、本当に学校改革を実現しようと思えば、石の上にも3年という諺にもあるように、最低でも1校の勤務年数は3~4年は必要です。学校や生徒の特徴を掴むために、1~2年はかかり、その学校に合った改革を見い出すにも時間は必要です。どうして、1校での在任期間が2年そこらで、地に着いた改革が出来るのでしょうか! せいぜい、変わってきたばかりの校長が、学校改革のためのブレインを育てる暇もなく、慌てて改革の花火を上げただけで、転校してしまうのが落ちだと思います。

2~3年の在職年数には、複数の学校の校長を経験させるためだとの意見もありますが、40年近く務めた教師経験を活かして、集大成として校長の最後の務め先であっても良いと思います。最後の与えられた学校で、腰を据えて教育者の仕上げとして全精力をつぎ込むことが、校長としての遣り甲斐にもつながると思うのですが、如何でしょうか!

どうしても複数校の経験をさせたいと思うならば、優秀な教諭の校長就任年齢を40歳代後半、もしくは50歳代前半に繰り上げることも可能だと思います。いずれにしても、最後の勤務校で、校長は永年勤めた教職経験の集大成として兵庫教育の発展のために、全力投球できる基盤を構築することが重要と考えます。

少子化時代に、生徒数が減少するこれからの高校は、特色づくりが大切です。

まさに、多様な特色のある学校を生徒に提供し、生徒の個性を伸ばしていくことが重要なことであり、校長のリーダーシップが問われることになります。

そこで、現在の県立高等学校長の在任期間について、どのように考えておられるのかお伺いします。