議会の動き

小池 ひろのり 議員が一般質問を実施

質 問 日:令和5年2月22日(水)

質 問 者:小池 ひろのり 議員

質問方式:一問一答

1.児童養護施設の子供たちについて

兵庫県内には39カ所の児童養護施設があり、現在、幼児(1歳未満の乳児を除く)から18歳までの子供たち約1,100名が入所しています。親による養育が困難な子供たちや、虐待を受け親子を分離した方が良いと行政が判断した子供たちが、施設で共同生活をしています。

2015年、私は厚生労働省に、大学を卒業する22歳まで施設入所が出来るように陳情と要望を行い、2017年、22歳まで引き続き入所が可能となりました。

しかし、実際には今でもほとんどの子供たちは、先輩たちを見習って、中卒又は高卒で就職し、施設を退所しています。大学などへ進学するには入学金・授業料や生活費・住居費までが必要で、「そんなお金を出してくれる人は自分にはいないし、自分だけが入学試験に合格するはずがない」と、小さい時から進学を諦めているからです。むしろ将来に対する夢が持てない状況で、「なぜ自分だけが、こんな環境なのか?」と自暴自棄になっている子供もいます。

そして、現実に22歳までの施設入所措置延長が実現した後も、兵庫県内の施設入所者の大学生は、わずか3名しかいません。生活や住居費が大きな負担となっているにもかかわらず、入所措置延長を利用せず進学を諦め退所している現状を、児童養護施設を管轄する県は、どのように認識されているのでしょうか?

現在、一般家庭の専門学校を除く大学進学率は、約59%ですが、県内の施設の子供たちは、約14%です。進学だけが問題ではありませんが、一般家庭と比較して施設の子供たちの大学進学率が、1/4以下という極端に低いというのは大いに問題です。この数値を、自己責任という人もいますが、本当に入所している子供たちの責任なのでしょうか?

受験勉強のため家庭教師まで付けてもらっている子供がいる一方、家庭に勉強机すらない家庭やヤングケアラーもおり、勉強したくても出来ない環境の子供もいるのです。また、施設の子供は大学へ行くために、受験勉強の時間を削ってアルバイトをしながら、入学金を貯めている場合もあります。それでも、試験は同じです。これって平等でしょうか?

このような現実から来る、施設の子供たちの進学率の低さを、行政はどのように認識されているのでしょうか?

確かに、就学支援として貸与奨学金制度があります。しかし、奨学金を受け大学を卒業すると、4年制大学文系で返還すべき奨学金が500万円以上の借金となります。仮に、奨学金受給者同士が結婚すると、その額は何と1,000万円以上の借金を抱えての社会人スタートとなります。これでは、子供を産み育てる余裕などあるでしょうか?これって、自己責任ですか?

施設のほとんどの子供たちは、中学・高校を卒業すると就職しますが、その後3年間の離職率は6割以上と言われています。原因は、それまでの施設での暮らしと、独り立ちしてからの生活のギャップが余りにも大きく、しかも悩みなどを相談する人がいないことが、一つの大きな要因だと思われます。しかも、会社を辞めると寮に入っていた子供は、職も住む所も失うことになります。アパートを借りようとしても、身元保証人がいない彼らにとっては、住居の確保さえ簡単なことではありません。一気に崩れていくことも容易に想像できます。

そこで、施設の子供たちが退所して落ち着くまでの期間、児童養護施設の子供たちの立場に立った相談支援体制を強化する必要があると考えます。児童養護施設が抱えるこの問題点を、行政や社会全体で考えるべきではないでしょうか!

これらを踏まえて、質問をします。齋藤知事は、『誰一人として取り残さない県政』の推進を掲げておられますが、児童養護施設の子供たちの置かれている現実を、どのように捉えておられるのでしょうか?

具体的な課題として、

  • 施設の入所措置延長の趣旨が、現場に浸透しておらず、余り利用されていない現実
  • 大学進学率が、わずか14%という低さ
  • 施設退所後の生活が落ち着くまでの相談支援体制の充実

以上3点の課題を、どのように認識し対策を取られているのかご所見を伺います。

2.ユニバーサル社会を目指して!

私が県会議員に初当選したのが2003年。その年の代表質問で、私は「JR三宮駅・神戸駅に、県が補助金を出してでもエレベーターを設置して欲しい」と要望しました。そして、20年が経過した今年度末に、県下の1日3千人以上の利用客がある全ての鉄道駅舎が、バリアフリーになります。

これで、車椅子の人たちも街に出かけられるようになったと喜んでいた時、私自身が不慮の出来事から約2月間車椅子の生活に入りました。

昨年10月、腰に違和感を抱き痛み止めを飲みながら、足を引きずり本会議に出席。これが腰痛を更に悪化させました。本会議が閉会になり病院に行くと、椎間板ヘルニアと診断されました。

ドクターに、職業を言わずに「どうしても行かねばならないので、車椅子でも行きたい!」と言ったところ、「車椅子では迷惑をかけることになるので、出かけることは推奨できない」と言われました。

もちろん、傷の悪化を避けるために、ドクターが「大人しくしていなさい」と言われた真意はよく分かっています。しかし、私は『車椅子は迷惑をかける』、この言葉に引っかかりました。

実際、慣れない車椅子で街に出かけると、緩やかなスロープや、ちょっとした段差でも大変でした。周りを見渡しスロープを探すのですが、車椅子に座ったままでは視点が低いせいもあり、なかなか見つかりません。これまで何気なく通っていた道でも、いざスロープを見つけることは容易ではありませんでした。『スロープへの案内板があれば、助かるなあ』と痛感しました。目的地がすぐそこに見えても、先には階段しかなくスロープを求め何度も引き返すこともありました。あるイベントでは、恐縮しながら県の小林局長に車椅子を押してもらったこともありました。

ある時、緩やかな上りのスロープで、体重のかけ方が分からず転倒しました。恥ずかしかったし、悔しかった。暫くすると、また上りのスロープ。どうしよう?と思案していると、若者が「押しましょうか?」と声をかけてくれました。嬉しかったです。人は優しいですが、社会環境は冷たく、行政は遅れており、車椅子の経験から改めて改善の余地が見えてきました。

実際に一歩街に出てみると、まだまだ障害だらけでした。トイレのドアも、スライド式でなく押引式では、車椅子がつかえたり、ドアに手が届かず閉めることも出来ませんでした。一人では電車に乗る事も出来ません。義務教育の学校でも、車椅子対応のトイレがなかったり、階段しかない場合も多数存在し、車椅子を結果的に拒否している現状があります。

最近では、車椅子で乗車出来るノンステップバスが増え、ユニバーサル社会に近づいていると思われます。しかし、ドクターからふと出た『車椅子は迷惑をかける』と言う言葉からも分かるように、社会には心のバリアが現存していると痛感しました。健常者にとっては、外出すると言うごく自然な行為であっても、車椅子の人には大変な勇気がいるという現実の上に、更に心のバリアがのしかかって来るのです。

これまでは、車椅子の人は、出かける交通手段すらなかったのです。民主主義を誇る私たちの国で、つい最近まで車椅子での外出は考慮されておらず、昔の“座敷牢”の時代が続いていたのです。障がい者は、まだまだ遠慮しながら、生きているのが実態です。

車椅子の人が、遠慮しながら、恐縮しながら生きておられる現実を、県としてどのようにお考えでしょうか?併せて、ユニバーサル社会に向けての決意を簡潔にお聞かせ願います。

3.自転車奨励政策と自転車道の整備について

私の趣味はサイクリングで、自転車歴は50年です。この半世紀、アジア・北米・欧州・オセアニアの国々を自転車で駆け巡った経験から、県議会に初当選した2003年から、自転車道の整備と自転車奨励政策を提言してきました。

自転車に乗ることは、心肺(心臓と肺の)機能を高め心身ともに健康づくりに大いに役立ち、将来的には医療費の削減にも繋がると言われています。更に、排気ガス・騒音も出さず、ガソリン使用やCO2を減らし、環境にも優しく、交通渋滞もありません。そして、何と言っても経済的です。

しかし、自転車には1点だけ欠点があります。それは、交通事故の問題です。その事故対策として、1970年、今から50年以上前に、自転車道整備法が制定されました。内容は「交通事故を考慮して、自転車道の整備に努めなくてはならない」となっています。しかし、この法の精神に沿い、安全な自転車道が整備されているとは未だに思われません。

都市部の交通渋滞を解消するための対策と言えば、未だに自動車道の建設を重視しています。私は、根本的に車を減らす政策なくして、渋滞解消などあり得ないことだと思っています。

今から10年前の2013年に、私はオランダの首都アムステルダムを視察しました。オランダ自転車協議会の説明によれば、1990年に、既にアムステルダムの市内の幹線道路には、自転車道を併設するという条例を制定し、政策的に自転車奨励社会を推進しました。市内の道路には制限速度が時速30キロ、50キロ、70キロの3種類があり、50キロ以上の道路には自転車道を併設、30キロの道路は出来るだけ車を走らせないような都市政策を取り入れました。その結果、安全な自転車道の利用で、市民の54%が自転車通勤・通学をするようになり、自転車利用率は約10倍に増えたにもかかわらず、自転車事故死亡者数は年間約600人から20人へと激減したそうです。この流れは、ヨーロッパ全土に広がり、今や、先進国の多くで、自転車を車と同様の交通機関と位置づけ、まちづくりに自転車奨励政策を推進しています。

我が国においても、ようやく2017年に「自転車活用推進法」が施行され、県でも2020年に「兵庫県自転車活用推進計画」が策定され、総合的な自転車政策が取り組まれようとしています。

カープールレーンとバイクレーン、カーシェアリングとバイクシェアリング等が進めば、確実に車は減ります。単に「計画」に留めるのではなく、積極的に「自転車交通政策」の確立を求めます。そして、“作るから使う政策”に転換することを強く願うものですが如何でしょうか?

更に、自転車の愛好家として、自転車道の整備を訴えます。イギリスのジョンソン元首相は、サイクリング愛好家です。米国のバイデン大統領もサイクリストで、昨年6月にサイクリング中に転倒したのがニュースとなりました。日本では大統領の転倒をスキャンダルに取り上げていましたが、私は80歳の大統領が、デモンストレーションではなく、ベテランのサイクリストとして自転車に乗っておられたのが驚きでした。私は、年齢に関係なく、サイクリングを楽しめる環境を日本にも定着することを願っています。

日本では、海峡を唯一自転車で走れる“しまなみ海道”があります。瀬戸内海を見下ろし、あの雄大な景色を眺め、心地よい汗をかきながら橋を走破すれば、誰でもサイクリングの醍醐味に魅了されます。

昨年10月に始まった、自転車の愛好家を運ぶための、神戸市須磨区と淡路市を結ぶ海上航路は、大変な人気ぶりでキャンセル待ちが出るほどです。淡路島一周のロングライドも定着してきました。更に、これが、世界遺産登録を目指している鳴門海峡の渦潮を見下ろしながら、大鳴門橋と淡路島を連結するサイクリングロードとなれば、全国区の評価を受けることは間違いありません。斎藤知事!この自転車道の開通を目指し、テープカットの日には徳島県知事と一緒に、自転車で渡り初めをしませんか?

素晴らしい素地がある兵庫県が、もっと積極的に自転車道を整備し、健康的なサイクリングを売り出し、兵庫の発展に結び付けて頂きたいと思います。

自転車奨励社会への政策は、間違いなく正しいと確信していますが、日本は他の先進国と比べて、極めて遅れを取っているのが実態です。兵庫県自転車活用推進計画において、さらなる自転車奨励政策や自転車道の整備を採り入れていくべきと考えますが、当局の所見を伺います。

4.“教育の日”の創設と少人数学級について

私は、県立高校で20年間、大学で客員教授を10年間、教師冥利を感じながら遣り甲斐のある職場として全力投球してきました。しかし、どうしても教育改革をしなくてはならないという気持ちから、2003年、県会議員の道に進路変更をしました。

そこで、今日は20年間務めた県会議員の最後の質問として、私のライフワークとしての教育問題を取り上げます。

日本は、戦後の非常に厳しい時代でも、教育に力を入れ、ほぼ全国民が義務教育を受けました。そのことが後の日本の高度成長を支える基盤になったのは間違いないと確信しています。

しかし、その後の半世紀以上に渡り、日本は経済発展を優先し、教育は置き去りとなり、『口では、教育は大切だ!』と言いながらも、公的な教育予算は充実されることなく、今や、日本の教育予算は、先進国の中でも、対GDP比で最低レベルまで落ち込んでしまいました。

日本よりはるかに貧しい(先進国を含む)多くの国でも、将来を見据えて、教育重視の政策を推し進めています。教育は先行投資です。『国家百年の計、教育にあり』という観点で、日本も、もっと教育を重視すべきと考えます。

1994年にユネスコが『教師の立場を認め、評価し、改善する』ことを目的として“世界教師の日”を定めました。現在では“教師を尊敬する日”として、50ヶ国以上で“教師の日”を制定しています。日本では、近代学校制度の教育法令「学制」が1872年に公布され、150年目に当たる今年度、「学制150年記念式典」が行われました。

私は、社会全体で教育を支え、生徒が夢と希望に向かって生き生きと学校生活に取り組み、教師も元気にオーラを出して指導できる教育現場にしたいのです。

そこで、生徒と教師を応援し、社会全体で教育の重要性を見つめなおす機会として、兵庫県に“教育の日”を創設したいと思いますが、如何でしょうか!

当局のお考えを伺います。

日本で義務標準法が制定された1959年当時は、50人学級でした。その後、個性重視の潮流もあって1964年に45人学級、1980年に40人学級、そして2021年度から小学校のみ5年かけ順次35人学級へ移行しています。しかし、この学級編制は、後追い政策の面が歪めず、課題は解消されていません。近年、家庭生活がこれだけ多様化し、基本的な躾も出来ていない子供も多い中、35人学級であっても一斉授業は、極めて困難な状況です。更に、教師の社会的地位は、かつては崇められていましたが、今ではマスコミやモンスターペアレンツに叩かれ、子供たちまでも尊敬の念が薄れています。それでも、教師は子供たちの成長に期待し、卒業時に「先生!有難うございました」の一言で教師冥利を感じ、頑張っているのが現状です。

しかし、現在、学校現場では、教師の多忙化は極限に近い状態です。県教育委員会の令和元年の調査によると1日当たりの教師の休憩時間は、中学校で12分、小学校では僅か6分。不登校児童生徒の急増など喫緊の課題への対応が求められる中、これでは生徒一人ひとりに合ったきめ細かな指導が出来ないのではないでしょうか!

本来、“義務教育”と言うからには、日本に住む人全員に“学ぶ場を保障”すべきです。今の日本の世の中で、義務教育がきちんと受けられない子供が、とんでもなく多くいるという異常事態を、もっと深刻に認識すべきだと思います。今後は、これまでの画一教育から個性重視の教育に転換するためにも、きめ細やかな指導や少人数学級を推進する必要があると考えます。

私は、20年前にフィンランドの小学校を視察しました。教室は非常に落ち着いた雰囲気で、20人ほどの生徒に対し複数の担任が配置されていました。現場の先生からは、「落ちこぼれは出しません。そのことが社会の落ちこぼれを出さないことにつながり、費用対効果の高い教育となっています」と自信を持って説明されました。教育に合わない子供であっても、公立学校の中で、その子供に合った支援をすることを目指し、1クラスの人数を減らし、きめ細やかな指導で教育効果を高めていました。その結果、フィンランドは、PISAの学習到達度や多分野で世界1位を獲得し、社会全体の底上げにもつながり、2018年2019年には“幸福度世界一”にもなっています。

一方、日本の義務教育に於いては、平成24年度から不登校の増加が続いており、義務教育を十分受けられていない子供たちがおり、兵庫県においては、令和3年度1万1千人を超えています。この不登校と少人数学級・教師の加配が、統計的に有意な因果関係があるとした学術論文が、多数発表されています。そこで、不登校対策として、教師のきめ細やかな指導やマンパワーとして教師の加配を実現することが喫緊の課題だと思われます。教育が、5年先、10年先の社会に大きな影響を与えることを鑑み、教育を重視し先行投資をすることが重要であることは間違いありません。

生徒の個性に合った教育を少しでも実現し、不登校を少しでも減らすために、“令和7年までに35人学級”にするという文科省の計画を、1年でも早く実現するよう文科省に要望すると同時に、県教育委員会としても他部局の理解を得て教育予算を拡大し、マンパワーとして教師の加配の増員を講じ、落ち着いた学校環境整備に努めて頂きたいと思います。

社会全体で教育の重要性を再確認するために、兵庫県は“教育の日”を創設し、現実の教育現場の大きな課題である少人数学級への改善を少しでも早める事を求めるものですが、県教育委員会の基本的な考え方をお聞かせください。